大学時代、ゼミ発表の準備を十分にせず、理解が浅いままプレゼンに臨んだことがあります。
そのとき、何の気なしに私はこう言ってしまいました。
「なんとなくわかるよね。」
今思えば、この言葉は聞き手に対する“甘え”でした。わかってくれるだろう、という無意識の期待。けれど、教授の反応は冷静でした。
「それは数学じゃない。」
その瞬間、頭の中が真っ白になりました。自分では理解しているつもりでも、言葉にしなければ伝わらない。しかも、数学という学問は、曖昧さを許さない世界です。
この失敗で痛感したのは、誰にでも伝わる表現の大切さです。聞き手に“甘える”のではなく、相手が理解できるように言葉を選び、構造を整える。それが本当のコミュニケーションだと、今では思えます。
高校時代の失敗と、この大学時代の失敗には共通点があります。
「わかってくれるよね」という感覚に頼っていたこと。
でも、教育の現場で子どもたちを見ていると、この“甘え”は誰にでもあると感じます。だからこそ、私は今、塾で「表現力」を重視しています。
次回は、教員時代に学んだ「思考力は言語化によって育つ」という考え方についてお話しします。

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