大人にとっては軽い反応だったとしても、子どもにとってその「笑い」が深く残ることがあります。しかも、笑われたのが“間違いそのもの”ではなく、“自分の答え方”だと感じると、子どもは途端に発言が怖くなります。
特に、先生の問いに勇気を出して手を挙げたとき。
大人やまわりの子がクスッとしただけで、「自分の考えは変なのかな?」「もう発言しないほうがいいのかな?」という自己否定につながってしまいます。大人は軽い気持ちでも、子どもにとっては“自分を否定された瞬間”として受け取られてしまうのです。
さらに厄介なのは、笑われた理由が子どもには分からないという点です。
「何が悪かったのか」「どこを直せばいいのか」が分からないまま、“自分の考えそのもの”が間違っているように感じてしまう場合があります。
すると、次の授業では手を挙げなくなり、声も小さくなり、新しい意見を言う勇気を失っていきます。発言することそのものが「リスク」になってしまうのです。
また、笑いが発生した教室の空気は、子どもたちの関係にも影響します。
クラスの中で「笑われる側」と「笑う側」という役割のようなものが無意識にできてしまうと、教室の安心感は大きく損なわれます。一度崩れた空気を立て直すのは、思っている以上に難しいものです。
ここで本当に大切なのは、子どもの答えがズレていたとしても、それが「間違っている」かどうかとは別の話だということです。
子どもには子どもの論理があります。大人の問いが曖昧だったり、前提が共有されていなかったりすると、その“ズレ”は必ず起こります。そして、そのズレを笑うのではなく、どう受け止めるかで、教室の空気が決まります。
教育に関わる大人に求められているのは、
「どんな答えが返ってきても、まずはその子の視点に立って考える姿勢」
です。
次回の最終回では、実際に子どもの答えを守るために大人ができる具体的な行動と、私たちの塾で行っている「受け止めるための工夫」を紹介します。子どもが安心して発言できる環境は、つくろうと思わなければ決して自然には生まれません。その大切さについて、お話しできればと思います。

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