何も予定のない休日。
本を読んでいる子供もいれば、外へ飛び出していく子供もいます。
工作を始める子供もいれば、ソファでゴロゴロしている子供もいます。
大人から見ると、
「何か有意義なことをしたらいいのに」
と思うような時間かもしれません。
でも私は、そういう時間にこそ子供らしさが表れることがあると思っています。
主体性という言葉があります。
教育の世界でもよく使われます。
そして多くの場合、
「自分で考える」
「自分で決める」
「自分で行動する」
という意味で語られます。
ただ、私は主体性とは
「何でも自分で決める力」
ではないと思っています。
なぜなら、子供は一人で育つわけではないからです。
本も大人が紹介します。
習い事も大人が見つけます。
様々な経験も、大人が扉を開くことで出会えます。
だから親が勧めることは悪いことではありません。
むしろ、子供だけでは出会えない世界へ案内する大切な役割です。
問題は、その後です。
その世界を見た子供が、
どう感じるのか。
何を面白いと思うのか。
続けたいと思うのか。
別の道を選びたいと思うのか。
そこには正解がありません。
第1回で、子供の「やりたい」は様々なところから生まれると書きました。
第2回では、その「やりたい」の背景には大人の影響もあることを書きました。
だからこそ大切なのは、
子供に何かを選ばせることではなく、
子供が自分の考えを話せることなのだと思います。
「どう思う?」
「本当はどうしたい?」
「続けたい?」
「やめたい?」
そんな対話の積み重ねの中で、
子供は少しずつ自分の気持ちを言葉にしていきます。
主体性とは、
大人が与えるものではありません。
また、
放っておけば育つものでもありません。
大人が扉を開き、
子供がその先を選ぶ。
その繰り返しの中で育っていくものなのだと思います。
シリーズまとめ
🌱第1回 「やりたい」はどこから生まれるのか
🌱第2回 続かないことには理由がある
🌱第3回 主体性はどう育つのか
子供の「やりたい」は、子供だけのものでも、親だけのものでもありません。
だからこそ、
「本人が言ったから」
で終わらせないこと。
親子で対話を重ねながら、その子自身の願いを一緒に見つけていくことが大切なのかもしれません。

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