小学校受験を考え始めると、保護者の皆さんがまず気になるのは筆記試験ではないでしょうか。
「どんな問題が出るのだろう」 「どれくらい解ければよいのだろう」 「いつから対策を始めればよいのだろう」
そう考えるのは自然なことです。
一方で、受験をする学校で子供たちを見てきた経験からお話しすると、学校は単に「問題が解けるかどうか」を見ているわけではありません。
むしろ、その力がどのように育ってきたのかを見ようとしていることが多いように感じます。
例えば、ブロックを数える問題があります。
ブロックが何個あるのか。 どちらが多いのか。 あと何個増えるのか。
こうした問題を見ると、「数が分かるかどうか」を試しているように思えます。
もちろん、それも一つの側面です。
しかし学校は、本当にその問題だけを解ける子供を求めているのでしょうか。
私はそうではないと思います。
ブロック遊びが好きな子は、遊びの中で自然と数に触れています。
「あと何個積めるかな」 「どっちが多いかな」 「あれ、一個足りない」
そうした経験を繰り返すうちに、数への感覚が育っていきます。
つまり学校が見ているのは、答えが分かるかどうかだけではなく、
「数に親しみながら育ってきたのだろうか」
という部分でもあるのです。
季節の問題も同じです。
春夏秋冬を暗記しているかを知りたいわけではありません。
桜を見たことがある。 雪遊びをしたことがある。 七夕を楽しんだことがある。 落ち葉を拾ったことがある。
そうした経験があるからこそ、
「これは秋だね」
という感覚が自然に身についていきます。
もし試験問題だけを見ていると、
「春は何月から何月まで」 「七夕は何月何日」
という知識の暗記に意識が向きます。
しかし学校が見ているのは、その知識の背景にある経験なのかもしれません。
言葉の問題でも同じことが言えます。
語彙が豊かな子供は、単語帳を覚えたから語彙が増えたわけではありません。
絵本を読んでもらったり、家族と会話をしたり、友達と遊んだりする中で言葉に触れてきた結果として、少しずつ言葉が育っていきます。
だから筆記試験の問題を見ていると、
学校は知識そのものを測っているというより、
「この子はどのような経験を重ねながら育ってきたのだろう」
ということを見ようとしているように感じます。
もちろん、受験に向けて問題に慣れていくことは大切です。
問題形式を知ることにも意味があります。
しかし、その前に考えたいことがあります。
それは、
「学校はなぜこの問題を出したのだろう」
という視点です。
問題だけを見ると対策になります。
問題の背景を見ると、学校が求める子供像が見えてきます。
筆記試験をそのような視点で眺めてみると、見え方が少し変わってくるのではないでしょうか。
次回は、集団行動や保護者面接について考えてみたいと思います。
学校はそこで何を見て評価しているのでしょうか。実はそこにも、筆記試験と同じように学校からのメッセージが隠されているのです。

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