「鉛筆折れた!」で通じるのは、家の中だけ。
学校では?友達との会話では?先生とのやりとりでは?
実は、「言わなくても察してもらえる」環境に慣れすぎると、外の世界でつまずくことがあります。
たとえば、先生に「ノート忘れた」とだけ言っても、「だからどうしたいの?」と返される。
友達に「それイヤ」と言っても、「何がイヤなの?」と聞かれる。
そのとき、言葉が出てこないと、誤解されたり、気持ちが伝わらなかったりして、子供自身が困ってしまうんです。
さらに、「わかってくれない」「察してくれない」と感じると、相手を責める気持ちが芽生えることも。
でも、実際には“伝える努力”が足りなかっただけかもしれません。
家庭で「察してあげる」ことは優しさだけど、「言葉にする練習の場」でもあると考えると、ちょっと見方が変わります。
「どうしてほしいの?」
「何が困ったの?」
「どんな気持ちだった?」
そんな問いかけを、日常の中に少しずつ。
子供が自分の思いを言葉にできるようになると、学校でも、友達との関係でも、ずっとラクになります。
“察する”だけじゃなく、“言葉にする力”を育てること。
それは、子供が社会の中で自分らしく生きていくための、大切な準備なのかもしれません。
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