ここまで二回にわたって、学校が入試で何を見ているのかについてお話ししてきました。
第1話では筆記試験について。
学校は知識そのものではなく、その知識がどのような経験の中で育ってきたのかを見ているというお話をしました。
第2話では集団行動や面接について。
学校は行儀の良さや模範解答ではなく、友達と学び合う力や、学校と家庭が協力して子供を育てていける関係性を見ているというお話をしました。
では、こうしたことを踏まえたとき、本当の受験対策とは何なのでしょうか。
受験というと、
「どの問題集を使うか」
「何枚プリントをやるか」
「面接の練習を何回するか」
といったことに目が向きがちです。
もちろん、それらにも意味があります。
問題形式に慣れることも大切です。
面接の雰囲気に慣れることも大切です。
しかし、それだけでは足りません。
なぜなら、学校が見ているものは、もっと前から積み重ねられているものだからです。
例えば、季節の問題。
これは季節を暗記しているかを見ているだけではありません。
桜を見てきたこと。
七夕を楽しんだこと。
雪遊びをしたこと。
そうした経験があるからこそ、季節への理解が自然に育っていきます。
また、集団行動で見られる協調性も同じです。
試験の日だけ急に身につくものではありません。
幼稚園や保育園で友達と遊ぶこと。
順番を待つこと。
相手の話を聞くこと。
そうした日々の積み重ねの中で少しずつ育っていくものです。
面接も同じでしょう。
保護者が学校について語る言葉には、その学校をどれだけ見てきたか、どれだけ考えてきたかが自然と表れます。
一夜漬けで作った模範解答よりも、説明会や学校公開を通して実際に感じたことの方が、ずっと説得力があります。
つまり、筆記試験も、集団行動も、面接も、実は別々のものではありません。
学校が見ているものには共通点があります。
それは、
「この子は学校の中で育っていけるだろうか」
ということです。
完成された子供を探しているわけではありません。
入学の時点で何でもできる子供を求めているわけでもありません。
学校が見ているのは、学びを楽しめるか。
友達と関われるか。
周囲と協力できるか。
新しいことに挑戦できるか。
そうした、これから成長していくための土台です。
だから私は、受験対策とは単なる試験対策ではないと思っています。
問題を解く練習をすることも大切です。
面接の練習をすることも大切です。
しかし、その前に、
「学校はどんな子供を育てたいのだろう」
という視点を持つことが大切です。
入試問題は、子供たちを選ぶためだけに存在しているのではありません。
そこには、
「私たちはこんな子供を育てたい」
という学校からのメッセージが込められています。
受験対策とは、そのメッセージを理解することから始まるのかもしれません。
そして、その視点で入試を見つめ直したとき、問題集や面接練習の意味も、少し違って見えてくるのではないでしょうか。

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