前回、「勉強だけでいい」という言葉に少し違和感がある、という話をしました。
では実際に、学校の役割とはどのように定められているのでしょうか。
まず大きな軸になるのが「教育基本法」です。
この中では、教育の目的として「人格の完成」が掲げられています。
つまり、学校は単に知識を教える場所ではなく、子供が社会の中で生きていくための力を育てる場として位置づけられています。
さらに「学校教育法」や「学習指導要領」では、その中身がより具体的に示されています。
たとえば算数では、数量や図形についての理解を深めながら、筋道を立てて考える力を育てることが目標とされています。
国語では、言葉による見方・考え方を働かせながら、適切に表現する力や、他者の考えを理解する力、豊かな言語感覚を育てることが求められています。
このように、各教科にはそれぞれ固有の目標がありますが、それらは単なる知識の習得にとどまりません。
教科の学びを通して、
・論理的に考える力
・他者と関わりながら理解を深める力
・自分の考えを言葉にする力
といった、より本質的な力が育てられていきます。
そしてこれらはすべて、最終的に「人格の完成」という教育の目的へとつながっています。
ここで重要なのは、これらを「勉強」とは別のものとして切り分けることはできない、という点です。
知識を学ぶことと、考えること。
考えることと、表現すること。
表現することと、他者と関わること。
これらは切り離されているのではなく、一つの流れの中で行われています。
つまり、学校で行われている勉強とは、単なる知識の習得ではなく、
各教科の学びを通して、多様な力を育て、その積み重ねによって人格の形成へとつながっていく営みなのです。
こうして見ていくと、「学校は勉強する場所」という言い方は決して間違いではありません。
ただし、その「勉強」が知識だけを指しているとすると、少し狭くなってしまいます。
では、「勉強だけでいい」という言葉は、どのように言い換えるとより本質に近づくのでしょうか。
次回は、「勉強」という言葉をもう一度とらえ直しながら、学校と家庭で共有したい考え方について整理していきます。
【次回予告】
「“勉強だけでいい”を正しく言い換えると」

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