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国語のテストの成績に関する考察 ④点数が取れない子供の傾向

国語のテストに係る考察をしていきます。ここでは、漢字や語句のような語彙に関する問題ではなく、読解問題についての考察を中心に進めます。

①授業とテストの乖離
②テストの問題の類型
③テストで問われる資質・能力
④点数が取れない子供の傾向
⑤当塾における現状の対策
⑥今後必要となる取組

この項目は、私自身も親として反省すべき点が多い内容です。こんなことができたらより良かったのかな…という自戒も含めて、個人の考察として読んでいただければと思います。そのため他のコンテンツよりかなり長くなっています。ご了承ください。

「読み取る力(読解力)を上げるには『読書』を!」と言われていますが、私はこの考え方には懐疑的です。読解力と読書量には相関関係はありますが、因果関係については「読解力→読書量」と考えているからです。

簡単に言うと、「読解力のある子供は本を読むのが楽しいから、(特別なサポートをしなくても)たくさん本を読んでいる」のであり、「本を読んだから、読解力が付いた」ではないと考えているということです。
*〇読解力がある→本を読む ×本を読む→読解力が付く

例えて言うなら、「本を読めば読解力が付く」というのは、「お金持ちの家は、車を2台以上持っていることが多い」「だからうちも2台以上車を買えば、お金持ちになれる」と言っているのと同じことと思っています。因果が逆転している可能性があるということです。

ということで、読書は基本的に読解力をつける手段としては不確定だと思うのです。そのため「うちの子はたくさん本を読む(読ませている)のに…」というのは、読解力に直接的な関連は無いかもしれません。

それよりも、私の教員生活の中で、読解力の低い・国語で点を取れない子供に共通する傾向は「対話ができない子」が多いことです。

「おしゃべりをしない」とか「あまり話さない」という意味ではありません。コミュニケーションが「対話」ではなく、それぞれの独白(発話、モノローグ)であり、キャッチボールにならないのです。

例を挙げると、「今日は学校で何があったの?」と聞いた時に、「楽しかった」や、「友達がいっぱい休んだよ」と応えたりする子供です。「何が」と聞いているのに、その時の気持ちや様子を応えてしまうのです。

その背景にあるのは、「正確に話さなくても受け取って、投げ返してくれる大人の存在」があります(…書いていて胸が痛い)。優しい大人は、拙い言葉の意図を読み取ったり、真意を聞き返すことで子供とのコミュニケーションが成立してしまうのです。結果、子供はいつまで経っても「対話」できません。物わかりのよい大人が、子供の自立を妨げるのは「言葉」の世界でも当てはまります。

きつい言い方になりますが、「何でも褒めて育てる」方針で育った子供はこの傾向が出やすいと感じています。イライラしながら「何言っているかわからない!」と言って委縮させるのは良いことではないですが、「伝わっていない」「できていない」ということを、ちゃんと子供に伝えることはとても大切です。国語が苦手な子供の中には、幼児的な万能感から妙にプライドが高い子供も多くいます。私の一考えにすぎませんが「何でも褒め」て「できないことを指摘しない(本人に納得させない)」ことへの弊害は、確かにあるのだと思います

自分のことでもあるので語っていて辛いのですが、いつも忙しく子供に何かを「させよう」とするのも、悪影響が大きいです。習い事に行く前に準備をさせる、食事の後にお風呂に入るまでの時間に勉強させるなどの時には、大人はコミュニケーションより成果(結果)を優先します。子供を思っての行動ですが、時間には限りがあるので、大人の都合で急かしていることも多々あります(ありました)。そうすると、子供の言葉は聞き取られることはなく、態度や声色、声の大きさなどの反応で大人が行動を制御してしまい、子供にとって「言葉」の価値を体感できないコミュニケーションになってしまうのです。ごく簡単に言うなら「無関心・過干渉」と言う状態です。

正確な言葉を使わなくても問題が解決され、自分の意志決定が少ない子供は、大きくなっても自分の言葉で表現することができません。それは同時に、相手の意図を読み取る必要もないコミュニケーションでもあり、「読解力」をつけるには程遠い状態です。

以前、子供が「今日は友達と一緒に遊べて楽しかった」と言ったら、それを聞いた父親が「それは『楽しかった』じゃなくて『嬉しかった』だね」と言った、という話を聞いたことがあります(「楽しい」は状態に対する感想、「嬉しい」は行動に対する感想)。ここまで厳しくする必要は無くても、普段の家庭の中での会話が「対話」になっていないのでは?と考えることには、価値があると思っています。それぞれがその時思ったことを独白することで、コミュニケーションらしきものが取れてしまっていると、正しい対話のための言葉はいつまでも育たないのでしょう。

もう一つ、気になっているのは「国語は全ての教科の学びの基礎」ということから導き出されることです。それは、「国語の力が足りないのではなく、他の教科の力を強制的に上げられているために、結果的に国語だけ他の教科より点数が取れない(本来の力は国語の力)」のではないかという仮説です。

算数や理科、社会などは明確に答えがある教科であり、その方法も論理的に組み立てられていて、その内容を理解さえすれば答えを再現しやすい(点数を取りやすい)教科です。学習塾などが、国語以外の教科を積極的に扱う理由がこれです。大雑把に言えば、国語以外の教科は「やればできる」となりやすいのです。

「国語の点数が取れない(点数が低い)…」とお悩みの家庭は多いのですが、実は、「(他の教科は塾の学習で点数が取れるようになったのに)国語だけ点数が伸びない」と言い換えられるケースも多くあります。これは教科の特性上仕方がない部分もあります。別な捉え方をすれば、他の教科はしっかり伸びていることを誇ってよいと思います。

…書いていて辛くなってきたので、話題も変えましょう。上に書いた「教科の特性上仕方ない」ではなく、何とかして国語の成績を短期的に上げる方法について、現在の塾の授業の様子を紹介しながら、次の「⑤当塾における現状の対策」で書いていきます。


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